両親の故郷へ
5月3日 父が高校卒業までの18年間過ごした旭川市へ向かった
父とご先祖様が眠るお寺がここにある
命日が近くなり 手を合わせに行く
誰もいない 暗くて寒い納骨堂
父は若い頃 元気な少年達を集め 少年野球チームを作り監督をし、小学校卒業したその少年達の受け皿として 自宅で無料の塾を開いた
元気な少年達も今では立派な大人になった
その中の一人の少年が 昨年自宅を塗装してくれました 今では立派社長ですよ😊
と、手を合わせる🙏
お気づきになられましたか?
以前 社長のお土産 と言うブログの中で登場した 社長の写真付きの うまい棒💧
この社長に父は……
バットを振り回して追いかけながら野球の指導をし 塾では定規を何本も折る 今となっては世間も社会も許さないような熱血指導をしていた
お前…相変わらず アホだな……(−_−;)
父の声が聞こえてきそうだ💧
そして 旭川から車で30分
母の故郷 当麻町へ向かう
当麻町は人口約6000人
鍾乳洞 お米の産地で有名 そして母の実家も米農家 妹夫婦が後を継ぎ 3年前廃業した
山に囲まれ 広い田畑が広がる
お気づきでしょうか?
次男が紛れています😅☝️
当麻山
居間の窓から素晴らしい景色が見渡せます
祖父(母の父親)は 元陸軍で ノモンハン事件と呼ばれる戦争を戦い 母は樺太で産まれ戦後命からがら引き上げてきた
祖父は戦後 陸軍(自衛隊)に戻ることはなく この当麻町で相当な苦労の中 荒れた土地を開墾し農家として生きていくことを決めた
仏壇の置かれた部屋には 祖父の戦時中 陸軍時代の写真や数々の勲章や国からの賞状が飾られている
祖父は孫達にも 自分の子供たちにさえ戦時中の事は一言も語らず亡くなっていった
何も語らなかった事が逆に 戦争の悲惨さを物語り 貧しいながらも農家を通じて食の大切さを伝えていた
優しく いつも笑顔だった祖父と 戦時中の祖父の写真とは 全く結びつかない
77歳の母に 幼少期から高校卒業するまで過ごした実家がある事はある意味羨ましい
自宅に戻り 早速 頂いたアスパラを頂く😊
畑で採れた 新鮮アスパラ✨
サッと茹で そのまま頂きます😃
新鮮ならではの食べ方 甘ーいのです🥰
出たーーーーーーーーーッ!!
山わさび✨✨
皮を剥いて すりおろします
掘り立てなので すりおろしている最中も涙が止まりません(男泣き😭)
食べでも ツーーーンと辛く 男泣き😭
(何故か 乙女の涙を 家族は男泣きと言う😑)
ご飯にそのままのっけても☝️
イカ刺しと食べるのがお勧めです^ ^
北海道もとても過ごしやすいよい季節になりました
桜🌸も………………💧
えーーーーと……(ーー;)
5月4日は満開でした😅☝️
(連休中 いっぱい写真撮ったけど 忙しくて今日お伝えしました😭)
家族旅行を検討されている方(おひとり様でも) 北海道旅行も計画の1つに入れてみてはいかがでしょうか?
お勧めですよ😊✌️